2021.12.06うじじきれい団のこと~ビーチクリーン
「サステナブル経営推進機構」という団体に弊社は属しており、持続的発展ができる経営を学んでいます。代表の石田理事長は、地球環境問題は8つあり、特にマイクロプラスチックと生物多様性と気候変動の3つをこの10年間に解決しないと取り返しのつかない事態になると警告しています。
自分はこの海洋ゴミから生じるマイクロプラスチックが一番やっかいな問題だと思います。既に海はプラスチックのスープ化しており、太陽光により吸い上げられたマイクロプラスチックが雨と共に落ちてきます。ピレネー山脈の高度地域で、樹氷の中に平均365個/㎡観測されたそうです。我々は1週間にクレジットカード1枚分のプラスチックを飲み込んでいると言われています。
先日、この団体の合宿が鹿児島県沖永良部島でありました。「心の豊かさ」とは何かを問う合宿でしたが、一番心に残ったのは、ビーチクリーンの体験でした。竿(さお)智之さんはご家族5人で「うじじきれい団」を結成しており、毎朝学校へ行く前に「ウジジ浜」のゴミを拾うことを2017年から始めました。15分拾ったら15分浜で遊ぶのが約束だそうです。夏休みの研究課題にもしました。どんな種類のゴミか? 色は? 大きさは? そしてバーコードを調べるとどの国から漂着したのかが、分かるようです。
彼らに実際に案内して頂き、10人程で、浜の海洋ゴミを拾う体験をしてみました。浜には軽石のような珊瑚の死がいが一面に広がり、岩も多くありますが、そこにあるわあるわ、古い汚れたペットボトル、キャップ、直径30㎝位のウキ、珊瑚のついたビールケース、元々は何だったか分からない破片。驚いたのは、あまりに大きく動かすことのできない、漁船から切り離された漁網です。また目を凝らして観ると、付着した珊瑚の死がいの隙間に青や白のマイクロプラスチックがたくさんあります。この色が多いのは、海の色に紛れて魚が見逃すからだとのこと。考えたら怖いことです。30分で、肥料袋に7~8杯になりました。自分にとっては海洋プラゴミの問題の事実が突き付けられた衝撃的な体験になりました。ただ救いだったのは、竿さんが「私たちは海洋ゴミを憎んではいません。むしろ毎日の話題として家族の結束に役立っているのです」と聞いたときでした。
たった5人から始めた活動でしたが、今はうじじきれい団に習って、至る所でビーチクリーンが活発になっています。海洋ゴミ問題の根本的な解決は難しいですが、ビーチでなくてもそこにあるゴミをひとつ拾うことが、海にゴミを投じる人々に影響を与える行動になり得ると信じています。「ひとつ拾えばひとつキレイになる」鍵山秀三郎さんの言葉です。
合掌
2021.11.05もったいないなんてもんじゃない
欧州からのサーキュラーエコノミー(循環型経済)の考え方が日本で唱えられるようになり、資源を大切に活用する社会が、今更ながら大事な様相を呈してきましたが、よくよく考えてみれば、日本には3Rという言葉があります。ご存じのように、リデュース(減じる)リユース(再活用)リサイクル(再利用)という言葉で日本人にはなじみの深い言葉です。この言葉の源流をたどると、正に「もったいない」という特異な日本語にたどり着くのではないかと思います。
この言葉が盛んに使われたのは江戸時代で、世界一人口が多かった江戸で人々が快適に過ごすために数々の江戸しぐさという文化が生まれ、その中のひとつとして「もったいない大事しぐさ」ができたのです。江戸は見事なほど無駄がない循環型社会で、それこそ「もったいない」が共通の価値観だったのです。江戸の人たちは浴衣も古くなれば、赤ちゃんのおしめに、もっと古くなれば雑巾にと、徹底して使い込みました。町から出される排泄物は、近隣の農作物を育てる肥料として運ばれ、作られた野菜は江戸で売られました。 「もったいない」という言葉は無駄になることが惜しいという意味と共に語源をたどると「勿体ない」であり、これは「物体ない」です。
これはありがとう(有難い)の言葉に繋がり、すべてはあたり前ではなく、目にみえない力や働きに助けられていることのかたじけなさや感謝の念が込められています。あらゆる「物体」に神仏が宿るとした、日本人の素晴らしい宗教心であると思います。
しかし令和の時代に生きる我々を振り返ると、古来日本人の心にある「もったいない」が生かされているでしょうか? あまりに便利で豊かな近代日本に生まれ、忘れかけてないでしょうか? 人として生まれたということについてはどうでしょうか? 「盲亀浮木」というお釈迦さんの教えがあります。広い海に浮かぶ1本の丸太棒の穴に、100年に1度だけ海面に顔を出す盲目の海亀が、偶然に頭を入れるとんでもない偶然の確立ぐらい、人として生まれる確率は低いという教えです。人として生まれたことのかたじけなさを知り、二度とない人生を最高に努力して、豊かなものにしなければ「もったいないなんてもんじゃない」と思いませんか?
合掌
2021.10.06ウイルス共存社会をチャンスに転換~良い習慣作りの絶好機
現在は愛知県も4回目の緊急事態宣言となり9月30日までの延長となりました。しかし県民も慣れてしまい、あまり大きな行動変容につながらないようです。思うにこれだけ変異株が増えてしまうと、いくらワクチンを打っても完全解決にはならないことを皆、潜在的に知っているからでしょう。これからはウイルスと共存するという考え方が必要です。
1年半まで遡って振り返ってみると、生活がどう変化したか、そしてどちらが自分の長寿に寄与したかを考えた時、現在の方が健康的と答える方が多いと思います。夕方以降の過度な人的交流により内臓や精神に負担をかけていた人や、形式だけの会合で高い交通費と大事な時間を使い、発展的な話題もない、空しい会議への出席も多かったのではないでしょうか。今はWEB会議も当たり前になり、実は個人がしっかり参加せざるを得ない実のある会議になっていることに気づかされるのです。この部分だけ捉えても、ビジネスにおける無理、無駄、悪習慣が排除されたと言って良いでしょう。
ウイルスを通して、我々は新しい習慣作りの時間を頂戴した、と考えたらどうでしょうか。「行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから」という言葉があります。良い例が少年院で、右から入所歴が長い順に点呼をしていくのですが、明らかに右になるほど目が輝いています。何故なら一定期間少年院で生活していると、朝6時に起きる、朝日を浴びる、体操をする、掃除をすることで、良い習慣が身に付き、心が再生され、更生の道を歩むからです。習慣の種類は3つあると思います。「生活の習慣」「言葉の習慣」「思考の習慣」です。
代表的な事例として、1番目の生活の週間は「早起きしてセロトニンを浴びる。しっかりした朝食をいただく。本を読む。ウォーキングする。掃除をする。腰骨を立てる」です。
2番目の言葉の習慣は「愚痴を言ったり、人の悪口・陰口を口癖にしないこと。人の足を引っ張るような言葉を慎みこと」です。
3番目の思考の習慣は「自分の弱点だけを見つめて思い込み卑下しないこと。プラス思考で行く」等々です。
今回のウイルスにより、時間の無駄が減ってきた今、良き習慣作りの時間は以前よりもあるのではないでしょうか。一つひとつの行動が習慣に変わり、新たな性格に変わると、新たなチャレンジ意識が湧いてきて、自分の人生がまた輝いてくる、そんな気がしています。
合掌
2021.09.0655期に向けてのお願い
当社の54期を振り返りますと、新型コロナウイルスによる一定の影響はあったものの、プラスチックという各分野に広く浸透している素材だけあって、広い業種の顧客に販売することができ、ほぼ目標の売り上げと利益を確保することができる見込みです。年度通期に亘って、面着の営業活動の自粛があり、また海外のフォースマジュールの発動、輸出入のコンテナ不足、中国アメリカのコロナ禍からの経済復興などによる、国内樹脂流通の滞りもあり、厳しい制限付きの本当の逆境にある中、この業績は大変うれしく思いますし、それを達成していただいた皆さんに深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
55期を迎え、これから社会全体で何が起こるかを予想しますと、やはり我々にも多大な影響を与えるカーボンニュートラルの取り組みが加速することが予想されます。ご存じのように、2020年からの数年は2100年に向けて世界の平均気温が+4度となるか、+1.5度で収まるかの瀬戸際と言われ、この時期に世界で脱炭素の枠組みをしっかり作り実践していかなければ、未来の子供たちは、例えば東京では45度の夏を迎えることになり、昼に寝て夜に活動するという考えられない事態を招くと言われています。また海面も1m上昇し、秒速100mの風が吹きます。国際機関は気候変動は間違いなく人間の産業活動が起因していると断定しました。
「地球に恩返し」を理念とする弊社にとしては、こんな未来を実現させては絶対いけないと思うのです。CNの金銭的な縛りが国境炭素税と言われるものですが、EUを始め70か国で導入が始まっています。日本の再生エネルギーの価格はEUの10倍と言われ、これを安価にする方法は、日本の国土面積等の制限で難しいのです。炭素税の導入は、日本の企業に多くの負担を科すことが明白であり省庁の炭素税の議論が進まないのはこのためです。地球は大切だけども、進めると日本経済が立ち行かなくなる。この矛盾を、日本人はこれからどう解決していくかが問われます。
弊社のリサイクルプラは、間違いなく脱炭素に貢献します。全体量から比較すれば、ほんの小さな量ですが、「箸よく盤水を回す」です。弊社材が日本のCNに大きな渦を巻き起こし、この矛盾を解決する一助となることを願っています。今年度の全体目標は「人材育成の実践と脱炭素の意識をもつ」です。
年度スローガンは前期と同様、「笑顔あふれる元気な会社」と「ONE TEAM ONE ISONO」です。まだまだコロナは続きそうですが、コロナ禍を追い風に変えて55期を突き進んで参りましょう。
合掌
2021.08.06先祖に護られる人とはどんな人
さだまさしさんの「無縁坂」という曲があり、歌詞に-♪運が良いとか悪いとか、人は時々口にするけど、そういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思う♪-というフレーズがあり、印象に残っている方も多いと思います。みなさんは運が良い悪いってどういうことなのか考えたことはありますか? 自分も59年間生きてきて運が悪いとき、良いときって今振り返ると本当にあったなって思います。
学業もスポーツもそこそこできて、意気盛んだった10代。何をしてもすぐに飽きてしまって継続できない情けない劣等感の固まりだった20・30代。会社の悪い出来事に翻弄されて生きる屍だった40代。恩師と呼べる方に出会って他者中心の意味を知り、人生の充実感を味わい始めた50代。振り返ると、人生あざなえる縄の如しで、良いと悪いが交互に巡るようにやってきていたようです。
正直言って、自分の20・30・40代は、生きることの意味を見つけられずに、精神上は生きるさまよい人であったと思います。生きることの価値を何も見つけられずに、もがいていた時代でした。50代になり、精神的な支えになる方が現れ始めて、会社も、みなさんのおかげで順調に進み始めて、やっと現在安息の日々を頂戴していると言えるようです。
振り返って、今思うことは良いことも悪いことも「おかげさまで」と感謝して生きることが一番大切で、弊社の経営理念を「今こそ地球に恩返し」にさせていただいたのも、「地球におかげさまと感謝して生きようね」というメッセージだからです。50代で恩師に出会うことができたのは、20代から40代のいわば、自分なりの逆境に身を置けた中で、それなりの多くの挫折に耐え抜けたことへの、ご褒美であると思っています。
表題の先祖に護られる人はどういう人かを学びました。ひとつは「いつも感謝の気持ちを持つ人」。ひとつは「先祖の墓参りを大切にしている人」。ひとつは「いつも試練がやって来る人」らしいです。最後の言葉は、意外に思われますね。試練がいつも目の前にある人は、いつもピンチでありますが、ピンチはチャンスです。自分の身に降りかかる一切の出来事を謹んで受け止めるという心の姿勢こそが、人間としての器を大きくすることができる唯一の方法のようです。先祖を味方につけ、運の良い人生を歩んでいきたいものですね。
最後に格言をふたつ。「盛時には驕らず衰時には悲しまず」。「順風は誠に心地よい、だが逆風もまた良い」。
合掌
2021.07.06「オーラ」についての一考察
「オーラ」という言葉を聞いたことがあるかと思います。芸能界やスポーツ界で活躍している人を街角で見かけたときなど、えもいわれぬ「オーラ」を感じたことがある人も多いのではないでしょうか? 検索してみると、オーラは「人や物から出ているエネルギーの色や見方」「エネルギーそのもの」「輝きにも強い弱いがある」「人によっても見方が違う」「周りの状況や環境のエネルギーに影響されて変化する」などとあります。
自分の体験では、20年程前に、ある自己啓発の研修を受けた際に、非常に閉ざされた空間で、未来の夢を語りあうことがあったのですが、語っている人や聞いている人の周りから黄色いモヤモヤした霞みたいなものを見ましたが、改めて思い出してみると、あれが「オーラ」だったかもと思っています。結局は、何か目に見えない精神世界的なものと見れば良いのでしょうが、ひとつ自分が面白いと思うことは、オーラを自分で見ることができれば、自分が物事にどれ位懸命に関わっているかのバロメーターになって面白いかもしれません。多分、普通の人が見て「オーラ」を感ずる一流の活躍している方は、その地位を守るために、我々には考えられない厳しいトレーニングや課題を自らに課し、毎日戦っている人々ではないかと思うのです。多分寝ても覚めても食事をしていても歩いていても自分の成長を考えている人なのでしょう。
安倍元首相ら、多くの政治家と親交をもつ鹿児島県最福寺の貫主の池口恵観氏はオーラについて面白い見解を示しています。人間の活動を司る身体と言葉と心の3つを身口意と呼ぶが、この身口意を仕事でフル回転させれば、体が燃えてその人がもつ「光」(エネルギーと言い換えてもいいでしょう)が、ボッと出てくる。光が出るとその人のオーラが強く濃くなっていく。人間のオーラは光とともに、5ミリから1センチ、2センチ、3センチと拡がっていく。光もオーラもはっきりとは目には見えないが、人は自然と六感でこれらを見てしまうので、その人にえもいわれぬ存在感が出るのだと。
池口氏は百万枚護摩行を達成した人物で知られる炎の行者です。その言葉は重いですね。いかがでしょうか? なかなか見れるものではないでしょうが、身口意をフル回転させて自分なりのオーラを出していき、存在感のある「人」になっていきたいものですね。
合掌
2021.06.01近江聖人の足跡~中江藤樹記念館を探訪~
知人がネットラジオで中江藤樹に関する逸話を話してました。藤樹を敬愛する馬方(馬の操り人)が、乗客が鞍に忘れた大金を乗客に戻しに30キロも歩いて宿に戻った。その乗客はその御礼に謝礼金を渡そうとするも、藤樹の教えを守る馬方はその謝礼を中々受け取らなかった。また、藤樹が作った店の看板書を依頼主がその文字を気に入り、もう一枚要望したが、「できない」と言って何十枚もの失敗作を見せてお引き取り願った。そして、その知人が藤樹の住居跡に行った折に、藤樹の息吹を感じて涙が止めどもなく溢れた。以上のような話をうかがい、どうしても藤樹記念館に訪れてみたくなりました。
北陸自動車道「木之本インターチェンジ」で降り、約1時間で到着です。記念館の隣には、陽明園という、日本陽明学の祖と言われた藤樹の生地と中国浙江省余姚市の友好交流を記念して作られた中国式庭園がありました。1986年の町興し基金2億4千万円で作られたようです。藤樹のこの地での功績を顕す庭園でした。
藤樹は1608年生まれで40歳でこの世を去ります。37歳から陽明学を学びました。このときに「致良知」の大切さを知れば「知行合一」の道に入ることができるという陽明学の大切な教えを学んだのです。人は誰でも「良知」という美しい心をもって生まれます。尊敬して認め合う心です。「致良知」とは、良知を鏡のように磨いて、日頃の行いを正しくするよう努力することです。有名な人間学を学ぶ雑誌の「致知」はこの言葉が語源になっているようです。「知行合一」は、人々は学ぶことによって、人として行わなければならない道を知りますが、学んだだけでは駄目で、良く理解し、実行して初めて知ったことになるという教えです。これらの藤樹の口から発せられた言葉が、熊沢蕃山、大塩平八郎、吉田松陰らに受け継がれて、幕末の動乱期に欧州人が高い学識と豊かな道徳意識をもつ日本人の凄さを知り、植民地でなく、対等な貿易国としての認識に変わる大きな原動力になったことは間違いないと確信しました。
改めて、国力の源とは、単なる経済発展だけではなく、国民が「人としての正しい学びとその学びに基づく行動力を高めていくこと」にあると今回の訪問で感じました。高島市安曇川の記念館と書院には、日本の国力の源となった藤樹の学びと実践力、広き心と熱い思いがあふれていました。
合掌
2021.05.07ついにやったぞ~松山選手オーガスタ制覇
この原稿を令和3年4月12日に書いています。今日が5月号の締切日ですが、やはりこの思いを社内報に書きたいという衝動を抑えることはできませんでした。ゴルフ好きにとっては歴史を刻む日になりました。そうです、日本のプロゴルフ選手の松山英樹選手がメジャー中のメジャーと呼ばれるゴルフ界の最高峰のマスターズに勝利したのです。
12日の現地時間の3時40分に4打差をもってティーアップしましたが、15番、16番でボギーを叩いてしまい、18番ホールでは、2位と2打差に詰められていました。
18番ホールもセカンドショットをバンカーに入れてしまい、ピンチを迎えましたが、ピンそば3メートルに寄せてパーにはならずのボギーでしたが、1打差で逃げ切ったのです。
解説の中島常幸さんも感極まって、声を詰まらせていました。日本のゴルフ界の悲願でもあったのでしょう。前半の9ホールは淡々とプレーしており、緊張感も見られませんでしたが、やはり後半はいつものようにとはいかなかったのでしょう。勝利後の会見では、最初から最後まで緊張していましたと話していましたが、自分にはそのように見えませんでした。
今回の勝利の理由は数々あるでしょうが、私見ですが、ひとつはメンタルコーチを付けたことで、悪いショットが出ても自分をコントロールすることができたこと。実際に悪くても腐った態度はひとつも見せず、ナイスショットには、はかむような笑顔が見られました。
もうひとつはパットの練習器具に工夫を凝らしたことです。テレビで、ちらっと映りましたが、シャフトに拳大の器具がついており、何でもそこからレーザーが出て、ボールの方向性を良くする器具のようです。
そして、松山選手がホールアウトし、ピンを戻した後、帯同の早藤キャデーが、帽子を取ってコースに一礼した姿が、「日本人は威厳があり、敬意を表する人々だ」との評判を呼んだらしいですが、そのようなコースにおけるキャデーの礼儀正しさが松山選手にも伝播して、「オーガスタの女神」を呼び込んだのも勝利の原因のひとつではないかと思います。
何度目かのコロナの蔓延を聞く生活の中で、気持ちも萎えがちなご時世ですが、下を向くことなく、松山選手にあやかり、同じ日本人として、日々の業務に熱く取り組んで参りましょう。必ずやどこかで、恩恵が巡って来ることと思います。
最後に、松山選手おめでとうございます。そしてありがとうございました。
合掌
2021.04.05竈門炭治郎から「炭」の話題2つ
昨年の10月から興行収入400億円を突破してロングラン上映されている劇場版「鬼滅の刃」ですが、自分もコロナ禍の5月にネットフリックスで鑑賞したことが契機になり、本も全巻購入し、映画も公開した翌日には観にいくという有り様で、このような高揚感を抑えることができないのは初めてで、よほど何かが響いたのだと思います。
炭治郎が命をかけて、掛けがえのないものを守り続け、困難に打ち勝ち成長していく姿に心打たれるといえば簡単ですが、相手の鬼たちの過去に背負った心の痛みなども丁寧に描かれていて、心象描写と美しい絵が相まって、奥深い世界に誘われます。
竈門炭治郎の名前の「炭」にまつわる言葉を二つ紹介します。
一つは「炭に入れた火箸を握って離さない」です。一言でいえば、凄まじい「覚悟」を表した言葉です。人がひとつのことを成し遂げようとすると、前人たちがやったことがない道を開拓せねばならないです。
今、弊社が力を入れている自動車の精緻解体から、プラスチック部品を取って、再度自動車部品に戻す、通称Car to carリサイクルは、過去には誰もやったことのない事業でした。この拡大には、辛く苦しいことがあろうと、志を曲げない、逃げない、諦めない、くじけない、やり切る、やり抜く覚悟が必要です。焼け火箸を握るなどとは、現実にはあり得ませんが、これほどの覚悟がなければ一端のことはできないと言っても過言ではないと思います。
もう一つは「炭のような人間になれ」です。「ユダヤ人大富豪の教え」でベストセラー作家になった本田健さんの言葉です。29歳の時、お金にまつわる本を書こうと思ったができず、育児でセミリタイアした期間も含めて、4年後に書いた本が処女作でベストセラーになったことで、この4年間が停滞期間ではなくて、作家としての熟成期間になったことの経験を話しています。
焚き木やバーベキューをやる時、木はパッと炎があがり、メラメラ燃えますが、すぐに燃え尽きます。炭は、火を起こすまでに時間はかかりますが、いったん燃えるとなかなか消えません。地味でかっこう悪いように見えますが、人生においてもジワジワ成功していき、年老いても内なる火はいつもついていて、風を吹き込めばいつでも燃え上がる人生。いかがでしょうか。「炭」のような人間になってみたいですね。
二つの「炭」にまつわる話題。双方ともに、「忍耐」の重要さを物語ります。
合掌
2021.03.03「感動の授業」~大畑誠也教授のこと~
大畑教授とは一昨年の10月に一泊研修にて宮崎県椎葉村に行った際にお会いさせていただきました。椎葉村は宮崎県北西部に位置する切り立った山々に囲まれた小さな山村で日本の三大秘境の1つと呼ばれている場所です。「椎葉綾心塾」塾長の綾部正哉氏の話を聞くのに出向いたのですが、椎葉村の夜に同部屋させていただいたのが大畑教授でした。その時交わした言葉が忘れられません。
「僕は多くの教育の現場で不良学生が立ち直る姿を見てきた。だが、どうしても限界を感じることがあった。何らかの理由で5歳までに親の愛情が与えられなかった子供たちは心底更生はできなかった」という言葉です。
別の機会に教授の講演を聞きました。教授が考える教育の究極の目的は「親に感謝、親を大切にする」です。高校生の多くは今まで自分一人の力で生きてきたように思っている。親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。このことを教えるのに私は卒業式の日を選びました。視聴覚室に集めた最後の授業です。後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、生徒に隣に正座させる。全員に目を瞑らせてから、『今まで、両親に迷惑掛けたり心配を掛けたりしただろう。交通事故にあって入院したり、親子げんかしたり、弁当に文句言ったり、それを思い出してみろ』涙を流すものが出てきます。『お前たちを高校へ行かせるために、両親は懸命に働いた。学校の先生にお世話になりましたという前にまず親に感謝しろ』『心の底から迷惑かけたと思うなら今隣におられるからその手を握ってみろ』と言うわけです。
すると一人二人と繋いでいって最後に全員が手を繋ぐ。声を張り上げ『その手は18年間お前らを育ててきた手だ。ゴツゴツした手をしておられるのは、お前たちを育てるために大変な苦労をしてこられたからだ。それを忘れるな』その上でさらに『18年間振り返って、
親に本当にすまんかった。心から感謝すると思う者は、今一度強く手を握れ』というと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。私は『良し、目を開けろ。私が教えたかったのはここたい。親に感謝する授業、終わり』出ていくときに振り返ると親子が抱き合って涙を流しているんです。」
こんな感動の授業をする大畑教授。でも「限界を感じた」ことがあったと部屋で語られました。
5歳までの親の愛が極めて重要であることをしみじみと実感させてくれるのです。
合掌
2021.02.15反面教師として学ぶ~「七つの生き方」~
『社長のひとりごと』は70回を越えましたが、プラス発想で物事を考えようとしていますので、過去に「こうなってはいけない」という文章を書いた記憶はありません。
今回は、松下幸之助氏の元側近の人物の著書を拝読し、反面教師として、グループの社員に「こうなってほしくない」という考えとして紹介します。頭文字をとり「おまえはひよこ」と覚えてください。
「お」は「愚かな人」自分で自分の立っている踏み台を壊す人です。飲み屋で会社の悪口や商品をけなしている人たち。周りの人たちはその品を買うでしょうか。会社の発展はありません。回って自分に降りかかってくることになります。
「ま」は「間抜けな人」努力をしなくても成功すると思っている人です。「人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです」は、イチローの名言です。
「え」は「エゴな人」思いやりのない人です。自分中心主義で考え、行動するという「われよし主義」では多くの人から反発を受け、協力は得られない。孤立して、仲間外れにされるのは必定です。
「は」は「恥ずかしい人」約束を守らない人です。人間が集団で社会を作っている以上、お互いに約束事を守らなければいけないのは当然のことです。約束を守るということが、人間としての証、信用の基本です。その大切な約束というものを守らないとは、実に恥ずかしい人です。
「ひ」は「卑怯な人」陰でものを言う人、陰で人の批判をする人です。悪口は最初は面白がられます。でもだんだんと忌み嫌われるようになります。なぜなら、「この人は私の悪口も他で言っているのではないか」と思うからです。こういう人は何をやってもうまく行きません。
「よ」は「幼稚な人」先の読めない人です。子どもが家で目的もなくマッチを擦るのは、それが原因で火事を引き起こすことになるかもしれないことが分からないからです。肝臓がんになるから、酒を控えてくださいと言われたのに飲み続け、肝臓がんで亡くなった方がいました。幼稚な人です。
「こ」は「滑稽な人」自分で周囲に言っていることをやらずに、周囲には自分の言っていることを求める人です。公序良俗に反することはしてはいけないと説教していた神父や僧侶が反することをする。自分が日頃、周囲に言っていることとは真逆なことをする人です。
自分のことに照らし合わせて猛省しています。もう一度初心に帰って、自分を振り返り、反面教師として、この言葉を胸に刻み付けたいと思います。
合掌
2021.01.06「自己変革について」~子会社での出来事
新年明けましておめでとうございます。みなさん、本年もどうぞよろしくお願いします。
大府市の弊社グループ会社で、取引先の監査がありました。約1年ぶりの来社でしたが、
その方が内部の変化に驚かれ、「もう同業他社で、手本になるところはない。手綱を緩めることなく、
これからは世界一を目指してほしい」と言われました。現場の改善をやる中で新米課長のやる気に火が付つき、
仕事の面白さが分かってきたのでしょうか、監査の中で課長自らがこの1年間やってきた事柄を元気に自信をもって発表していました。
この課長らの成長ぶりも、この方の言葉に繋がったと思います。
特にコロナで仕事のなかった4~7月の間に、自ら考え、悩みながら行動し、汗をかきながら工程改善をしたことが、
11月までに花が開いて、売り上げは、ほぼ90%まで戻っているのに人件費は70%までで留まっているという
すばらしい合理化・効率化に繋がったのではないでしょうか。この新米課長らの自己変革を伴う活躍ぶりに、「企業は人なり」を改めて実感した次第です。
カレーハウスCoCo壱番屋の創業者の宗次徳二さんが、『独断』という著書を出されました。
自分にとってもこれ程に考え方の方向性を変えられたものはないくらいでした。
宗次さんは、コロナ禍をどう過ごすのかが最後に記されています。
「あとになって振り返った時に、コロナ禍で人生が大きく変わったという人がたくさん出てくるに違いない。
私自身、改めて人生を振り返って思うのは、常に前向きで、感謝の気持ちを持ち、自分の関わる活動を発展させるために努力することが大切だ。
自らの欲求を満たし、面白おかしく日々を送るのもいいが、社会に目を向け、その発展のために力やお金を蓄積することも必要だと思う。
そういう生き方の転換を図るには、今はグッドタイミングといえるだろう。反省するべき点があれば素直に反省し、経営者であれば、
これから先の目標・夢を追い続けていく契機としていただきたいと思う。
大事なのは終息した後である。どんな姿勢で生きるのか、一人ひとりにそれが問われることになるだろう。
いい再スタートが切れるように、今のうちから知恵をだして、自らの姿勢を正していきたいものだ」と。
大いに自己変革して、充実したアフターコロナの人生を歩むべく、準備をしたいものです。
『独断』を多くの人に読んでいただきたいと思います。
合掌